今年の夏は、とにかく暑い。駆け足でやって来た春が、その勇み足を均したかったか、極端な寒の戻りをいつまでも抱えていたかと思や。梅雨は梅雨で、途轍もない豪雨の長雨となってあちこちに甚大な被害をもたらしたし。七月半ば、それが明けての最初の連休が、やあ夏らしい陽気になったねぇと、安堵しながら笑っていたのも束の間の話。今度はいきなり、猛暑日の連続なんていう掟破りの強襲をかけて来て。まだ七月なのにとか、お盆のころはどこまで暑いのかと、さっそくにも大人たちをうんざりさせた。そうかと思えば、昔の夕立どころじゃあない破壊力のゲリラ豪雨もやって来て、暑くなる直前、途轍もない梅雨だったのを忘れるなと言わんばかりに、竜巻の元となる突風や、雷つきという物騒な豪雨をもたらしもして。夏と言えばの様々なオプション。打ち水にスイカにかき氷、風鈴の音、蝉の声、ゆかたに花火に蚊遣りの香り…などなどといった、情緒とか風情とか味わってる余裕のない、何とも苛酷な夏となっている始末。
「〜〜〜〜〜。」
朝晩もまだまだ元気に熱帯夜が続いており。だというのに、エアコンを掛けっ放しは好かない主人の意を通し、今のところの対策としては、窓を開け、扇風機を回して風を循環させるに留まっている当家の場合、
“暑い〜〜〜。”
朝になってもこの暑さってなに?と、少々うんざりしながらも眸をこじ開けて、ぬるんだシーツの上で部屋の明るさを確かめる。窓を薄めに開けている関係で、しっかり閉じられてはないカーテンの隙間からこぼれる明るさは、今日の好天とそれから、日中の猛暑を今から予想させ。寝乱れた金の髪を手櫛で梳き上げつつも、いつまでも横になってもいられぬと、むくりと身を起こすところは相変わらずに働き者な彼であり。裸だと却って暑いと学んでいたがための大きめのTシャツの、めくれ上がった裾を直しつつ。ふと、自分のすぐ傍らを見下ろした彼の、形のいい口許が…優しい笑みで くすりとほころぶ。そこには、この暑いのにもかかわらず、床を共にした愛しい御仁が依然として眠っていて。横を向き、枕へ顔の半分を埋めている彼は、寒い頃合いは人を湯たんぽ代わりにするくせに、暑さには滅法強いお人だから。今も実に穏やかな表情で無心に眠り続けており、
“……いい気なもんだよな。”
濃色の長々延ばした蓬髪を、首条や背中へまとわりつかせていても、さほどには鬱陶しくないらしく。むしろ見ている方が落ち着けないと、そおと延ばした指先で、首へかかっていた一房を向こうへと払いのけてやる。それでも気づかぬか、すうすうと眠り続ける御主を、今少しだけと見守っていたものの、
“…………さてと。”
彫も深くて男臭い精悍さといい、そのくせ単なる豪放ではなく。奥深い知性も感じさせる静謐な整いようといい、いつまで見ていても全く見飽きぬご尊顔だが。それこそ限(キリ)がないのでと、意識を切り替えて。ベッドへ振動を与えぬよう、そっと降り立ち、上掛けを整えると、部屋の隅にて普段着のシャツと綿のストレートタイプのパンツへ手際よく着替え、そのまま寝室を後にする七郎次であり。廊下に出ればますますのこと明るく、辺りに垂れ込める空気も既にむんと暑い。うへえと口許を歪めつつも、洗面所へ向かうと、歯を磨いて顔を洗い。くせのない髪を、それでも一応は櫛で整えてうなじでまとめて、
“さて。”
すっきりと目が開いたところで、準備万端整ったそのまま、傍らの風呂場前におかれた洗濯機を見、中身を確かめてから洗剤を投入し、スイッチを入れ、次はと なめらかな歩みでキッチンへ。通り道となる廊下や部屋の窓をところどころで開けてゆき、空気の入れ替えに努めつつ、到着したキッチンでは炊飯器のスイッチを入れて、さてさて。
「さぁってとvv」
此処までの一通りは、もはや体が覚えてしまっている一連の支度であり。それをこなしてのここからは、朝一番のお楽しみ。足取りも軽やかに、リビングへと向かうと、
「久蔵、起きてるかい?」
仔猫にもこの暑さは堪えるのじゃないかなぁ、クーラーシートとかいろいろなグッズがあるらしいけれど、用意しないでいいのかな…と。目眩がしそうなほどの暑さの襲来にあって、そちらもしっかりと案じた七郎次おっ母様だったけれど。今のところは、そりゃあお元気な仔猫様であるようで。子供用のプールではしゃいだり、アイスクリームにお眸々をきらりんと輝かせたり。そうめんや冷や麦も相変わらずに大好きvv 器の中で泳ぐ氷を捕まえようとして、それはさすがに めぇよと七郎次から怒られもして。風鈴の短冊の陰がテラスで遊ぶの、このこのぉと捕まえようとしたり、フローリングの冷ややかな感触へじかに寝そべり、伸び伸びと午睡を堪能したり。小さな総身を目一杯にはしゃがせて、何でもかんでも、楽しそうにワクワクと享受しておいでの様子であり。ガラスに映ればキャラメル色の毛並みの仔猫、でも、当家の人々には小さな幼子のやんちゃぶり。真夏の暑さにも一向に負けてなんからいらしく、
“何だか、私一人だけ、
夏がイヤでイヤでしょうがないみたいじゃないか。”
片やは元気有り余る小さい坊や、片やは南国生まれの壮年と、両極端な家族に囲まれていることへ、今頃になって気がついたらしい秘書殿だったところからして、今年の暑さ、相当なものなのかも。(おいおい)
「久蔵、起っきしてますか?」
昨夜は少し先の大川で開催された打ち上げ花火を観に行った。音にびっくりしてパニックを起こさぬかと案じたものの、人出があること予想していての、少し離れたところに駐車した車中からという眺め方を構えており。テレビなどの画面で既に見てもいたので、どんなものかは何となく把握があったのか、
『………みゅう〜〜。///////』
真っ赤な双眸を真ん丸に見開いて、車の窓ガラスへ小さなお手々を張りつけ、心奪われたようにじいと眺めていた様子は、ただただ愛らしいったらなく。はうぅという萌えの発散にと、勘兵衛の二の腕や胸板、ぱふぱふぱふと…ついついたくさん叩いてしまった七郎次だったほど。
今更な話はともかく(笑)
さあさ、今日もいいお天気になりそうだよと、ソファーに置かれた猫ベッドへと歩みを運んだ七郎次だったが、
「…………え?」
いきなり明るくしてはびっくりするやもと、いつもまずは厚手のカーテンだけを開け、それからとソファーへ歩み寄る七郎次であり。明かりを灯す必要のない、十分な明るさの中に置かれた小さなクッションには、だが、いつもの小さな影がない。どういう案配であるものか、そんな大きさに収まるはずがない幼子の肢体が、だが、自分で起き上がるか、こちらが抱き上げるかして、そこから引き離さぬ限りは、不自然のないバランスでその上へ収まっているはずが。夏用にとタオルを敷いてあるその寝床に、あのあどけない坊やの姿がない。
「久蔵?」
トイレかな、でもでも夜中に起き出す子じゃないのにな。一応は、仔猫の姿でなら通り抜けられるようにということで、トイレの小窓が開いてはいるが。トイレのドア自体へも、下のほうに出入り用にと緩いバネ式の戸口を設けてもいるのだが、そこから出てった試しは今のところ一度だってなかったけどな。そうと不審に思いながらも、だったら昨夜が初めての夜歩きだろかと、小首を傾げつつも、まださほど逼迫してはなかった、金髪のおっ母様だったのだけれども。
「……久蔵〜、どこ〜〜?」
愛おしい我が子を呼ぶ声が、なかなか途切れぬことへと気づき。実はとっくに少しほど目覚めていた勘兵衛が、おいおいと怪訝に感じてこちらも起き出すのに、さほどの間は要らなくて。
「いかがしたのだ。」
「あ、勘兵衛様。」
朝も早よからと 辺りへの遠慮が挟まった呼び方だったのが、ややもするとくっきりした声へと変わって来ており。面と向かって見やったご当人のお顔がまた、随分と焦燥を含んだ、不安でいっぱいという表情で満たされており。
「久蔵がいないのです。」
「寝所にいないだけではないのか?」
リビング全部見て回りましたし、トイレもテラスもダイニングも。一人では入っちゃいけないと言ってありますが、それでもと、キッチンや風呂場も見ましたし、玄関や一階の納戸も覗いたのですが。どちらも扉が重いから、あの子ひとりでは開けられないでしょうし。
「それで、あのあの。」
彼をこうまでの不安に叩き落とした要因とやらが、どうやら他にもあったようで。落ち着きなさいと歩み寄った勘兵衛の、自分の視線より少し上となるお顔を見上げ、その視線を横手へ振った七郎次で。そちらには庭のポーチへ降りられる掃き出し窓があるのだが、
「開いてたんですよ、そこの窓。」
「…………お。」
鎧戸や雨戸こそ閉じなかったが、戸締まりはしっかとしたはずで。ここが一番の問題なのだが、回転錠のある高さへは、和子の姿でいても久蔵には微妙に届かない。それにそこは猫の手のままなのか、細かい手作業は相変わらずこなせぬ彼なので、
「自分では開けられないはずなのですよ。」
その声に逼迫の色がますますと濃くなって、彼が何を案じているのかは、勘兵衛にもすぐさま伝わった。だが、
「荒らされてはおらぬしな。」
「他には目もくれなかったに違いありませんっ。」
窃盗犯が侵入し、仔猫を攫っていったんじゃあと、最悪の場合を思いついてしまったらしい七郎次であるらしく。だってあの子、ここいらじゃあ結構有名なんですよ? それは愛らしいし、撫でられても大人しいしって。メインクーンっていう種類の猫は、それでなくとも最近人気があるそうですし、
「きっと最初から久蔵が目当ての賊なんですって。」
こうしちゃいられない、警察へ電話しないとと。大慌てでサイドボードへ駆け寄りかかるのを、まあお待ちと大きな手が二の腕掴んで引き留める。
「勘兵衛様っ?」
「シチ、落ち着きなさい。」
「ですがっ」
「我らには幼い和子に見えているが、他の人からはどう見えている?」
「あ…。」
メインクーンという品種が口を衝いて出たほどだから、勘兵衛が言いたいこともすぐに知れ。誰にでも幼子に見える対象ならともかく、仔猫の失踪では警察は取り合ってはくれぬよと悟らせる。せいぜい窃盗という形での届けを出すしかないのが現状であり、それにしたってよほどに高価な、血統がどうのこうので時価ン百万するような仔でもない限り、そのうち帰って来るんじゃあと、あしらわれるのがオチだろう。
「ですが…。」
「ああ。儂らには掛け替えのない和子だ。」
いつまでも幼くて、だからこそ無事なんだろかという心配も大きい。だが、
「お主を疑うワケではないがな、本当に窓は錠前がかってあったのかの。」
「勘兵衛様?」
もしやして……のし上がって押したら開いたのでと、ちょっと散歩に出ていったのかも知れん。花火を見ての興奮が冷めやらずで、妙な時間に目が覚めて。そうそう、そこへあの黒いのが来ていたら? あやつが外からも手を貸して、重いこの窓開けたのかも知れぬぞ? と。さすがは小説家で、想像力が豊かなのを発揮したものか、そんな“もしかして”を持ち出すと、一概に危険なことばかりを思うでないと窘めて。
「ともあれ、まずはご近所一帯を回ってみようではないか。」
「はい。」
あ、だったら勘兵衛様は家にいて下さいと。サイドボードに置いていた、自身の携帯電話を手にしつつ、七郎次がそんな風に言い出した。
「戻って来たのに誰もいなかったら、それこそ怯えてしまうやもしれません。」
逼迫しつつも、そういう考え方がするりと出るところが、もうすっかりと母親なのだなと勘兵衛に思わせた一幕で。既に気温も上がり始めている外へと出てゆきつつ、はてさてお猫様、一体どこへ行ったやら……。
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*微妙に微妙なお話でございます。
相変わらずなお猫様だと判ったと同時、
そのまま別のテイストも楽しめるかもという、
ややこしいこと、企んでおりますが…まま今のところは普通に続くvvv(こら)

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